私たちが「お客様を幸せにする家」を使命にしている理由と、それを無意識に実現するために24時間していること - 匠平家

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私たちが「お客様を幸せにする家」を使命にしている理由と、それを無意識に実現するために24時間していること

私たち匠平家の使命は、「お客様を幸せにする家」を作ることです。山梨に生まれ、宮大工の仕事を受け継いだ私たちがなぜそれを使命とすることにしたのか、そしてそれを実現するために、自分の無意識を鍛えて、24時間、365日していることについて、ご紹介します。

お客様を幸せにできないような家づくりは、まっとうではない

「創業1854年の実績と山梨の工務店としてのあゆみ」という記事にも書きましたが、私たち匠平家がその伝統を引き継ぐ宮大工の初代・外川藤助が仕事を始めたのは、安政元年、西暦でいえば1854年のことです。場所は現在の富士河口湖町でした。黒船の来航でまさに日本中が沸騰し、幕末という歴史の大転換期が始まろうとしていた時代です。
二代目・外川朔太郎、三代目・外川殿吉は、初代の技術にさらに磨きをかけるために、京都や奈良で修業を積み、明治から大正にかけて、いくつもの神社仏閣を手がけました。
こうした先祖が手がけた、白川神社拝殿、妙法寺山門、富士浅間神社社務所などは今でも残り、100年前の施工物件を今でも目にすることができます。
三代目・殿吉が彫ったものは今にも動きそうなほど生き生きしており、「生きた彫刻を彫ることがえきる棟梁」として名を馳せていたそうです。祖父から彫りものを伝授されたわけではありませんが、五代目である私、外川秀行も、棟梁をしていたころには、光栄なことに「生きた彫刻を彫ることができる棟梁」と呼ばれました。

私の父である四代目の外川建児が宮大工を受け継いだのは、昭和という新たな時代に入ってからです。
父は、その特別な技術を一般住宅に役立てることを考え、神社仏閣の入母屋造りを普通の住宅に取り入れました。
父のことを思い出すと、食事中にお弟子さんたちと話していた様子が目に浮かびます。
食卓を囲んでいた住み込みのお弟子さんたちは、私にとっては、「ちょっと歳の離れた兄」のようなものでした。

「あのお客様のことを、幸せにできただろうか」
「神様の家を作るんだから、手を合わせて、心をこめて仕事をしよう」
「見えないところまでしっかりやらなくちゃならない」

物心つくころから、私はそんな父の言葉を幾度となく聞いていました。
そのときは何のことを言っているのかわかりませんでしたが、それでも、父の言葉は私の中にしっかりと刻まれていたのだと思います。

外川家には、初代から受け継がれた古文書があります。
そこには建築技術に関することがこと細かにつづられています。昔の人の文字ですからかなり読みにくいのですが、不思議と「心」は伝わってきます。
丹念に精魂こめて神様の家を建ててきた初代、二代目、三代目の仕事を受け継ぎ、その神様の家を建てるのとまったく同じ思いで、人様が住む家を手がけてきた父のことを考えると、深い感慨がわきあがってきます。
「家づくりは心でするものだ」という発想に私が行きついたのは、当然のことかもしれません。
「あのお客様を幸せにできただろうか」という父のつぶやきの意味は、

「お客様を幸せにできないような家づくりは、まっとうなものではない」

ということです。
私たちが、「お客様を幸せにする家」をつくることを使命としているのは、先祖や父から受け継いだその心をもっているからなのです。

お客様を幸せにすることで得られる喜び

「幸せになれる家づくり」という匠平家の信念が芽生えたのは、あるお客様との出会いがきっかけになっています。

ある日のこと、そのお客様が相談にいらっしゃいました。
「マイホームを建てたいのですが……」

家をつくるときには、じつにさまざまなことを考える必要があります。
頭金やローンのこと、土地のこと、家の設計のこと。家族みんなが満足でき、仲良く暮らしていくためには、どんな住まい方が可能なのか。
とりわけ、資金繰りのことは重要です。これまで一生懸命働いてコツコツ貯めてきた大事なお金が、ムダになってしまう可能性もあるからです。
そのお客様の相談を受けて、私は家づくりのプロフェッショナルとして、「プロができるアドバイス」をしました。家は人生すべてに深くかかわるものですから、生きる意味についてまで触れました。それは私にとっては、ごく普通の言葉だったと思います。

ところが、目の前にいたそのお客様が、不意に泣き出してしまったのです。
びっくりしている私に向かって、お客様は涙をぬぐいながら言いました。

「ありがとうございます。相談してみて、本当によかったです。これで、思いきって家を建てることができます」

私の驚きは、感動へと変わっていきました。
その感動は、言葉にできない喜びと感謝、そして希望などがないまぜになったものでした。

「こちらこそ、ありがとうございます。こんなに喜んでいただけて、私のほうこそ、うれしいです」

思わず、お客様に対する感謝の言葉がほとばしりました。
それまでは、意識的に「ありがとうございます」と言っていたのですが、このときは、無意識、それもかぎりなく本能に近いところから、感謝の言葉が発せられたのです。

このお客様のおかげで、私ははっきりと気づくことができたのです。
この喜びにくらべれば、お金はそれほど重要ではないのだということに。
喜びを求めることのほうが、お金を求めることよりも、家づくりはずっと幸せになるのです。
お客様が感謝して流した涙は、乾いた土にやさしく降り注ぐ春の雨のようでした。
それを受けて、私の中にあった「幸せになれる家づくり」の種が、芽を出したのです。

そんなことがあってから、私はつくづく考えました。
あの日感じた喜び、あの感動をもう一度味わいたい。そのためにはどうすればいいのか。
その答えは、ひとつしかありません。
何を選ぶにしても、どのような言動をとるにしても、すべて、「お客様が幸せになるかどうか」を基準にすればいいのです。

仕事は、「お客様の幸せ」のためにするものだ。
「お客様の幸せ」をすべての基準にするべきだ。
「お客様の幸せ」はすべての出発点であり、同時に、到達点でなければならない。

家は一生に一度の大きな買い物です。それだけに、人の人生を大きく変えてしまうことがあります。家を建ててお客様が幸せになれるかどうかは、家づくりに携わる私たちにも、大きな責任があるのです。
いくら利益を得ることができたからといったところで、その家を建てたお客様が不幸になっていたら、それは成功だとはとても言えません。
企業としては、前年より1件でも2件でも契約を増やし、利益があがれば、成功したことになるのかもしれません。しかし、その数字の陰で、お客様が犠牲になっているとしたら、それは本物の成功とは絶対に言えません。

もちろんお金は大切です。
利益を上げて、会社を大きくしていくという目標をもつことは、責められるようなことではありません。
でも、お金はしょせん生きていくことができる程度にあればいいのだし、適正な利益は、お客様の幸せを第一にしていれば自然に得られるはずです。
お客様に、できるかぎり高品質でお手頃価格の家を提供すること。
それこそが、お客様が幸せになり、私たちと、私たちの家族、そして職人さんたちが幸せになる方法なのです。
このように、家づくりにかかわるすべての人が幸せになってこそ、本物の「家族が幸せになれる家」が完成するのです。

「お客様の幸せ」のために24時間を使うこと

お客様を幸せにする家。
同じ思いを抱いている同業者は、ほかにもいることと思います。
しかし、その多くは、「意識して」そう思っているのではないでしょうか。
真にお客様を幸せにする家というものは、意識するだけでは実現することはできません。無意識のうちからそれを望まなければ、実現しないのです。

たとえば、コンビニでの買い物を思い出してください。
レジで支払いをすませた後、あなたは店員さんに何と声をかけますか?
「どうもありがとう」とお礼を言う人もいるかもしれません。何も言わない人もいるでしょう。「どうも」ぐらいは言う、という人もいるでしょう。
このような場合、ほとんどの人は「こちらはお客」という意識をもっています。お客なんだから、店員に感謝されて当たり前。客である自分が店員に感謝する理由はない、という意識が、その根底にあるのではないでしょうか。
かつて、私は、そういうときに意識して「ありがとう」と言うようにしていました。コンビニで買い物をしたとき、レストランで食事をしたとき、タクシーやバスの運転手さんに対して。

コンビニでスムーズに買い物ができるのも、店員さんがいるおかげです。商品の代価としてお金は支払いますが、店員さんがいるからこそ、支払いができ、買い物ができるわけです。バスの運転手さん、タクシーの運転手さんも同じで、そうした方々が仕事をしてくださっているおかげで、私は「お客様」であることができるのです。
普段の生活でなにげなくふれあうこうした人々は、私の仕事のお客様にくらべれば、「遠い人」です。でも、この「遠い人」にきちんと心から感謝をすることができれば、お客様に対する「おかげさまで」「ありがとうございます」という気持ちは、何倍にもなるのです。
何倍にもなった「おかげさまで」「ありがとうございます」は、まったくの無意識から発せられる感情、言葉です。
お客様に対する感謝は、まさにこのときに「本物」になるのです。
無意識から発せられた感情、言葉は、お客様のことをつねに考える、お客様のためになることに心を向けるということにつながります。つまり、「お客様の幸せ」のために24時間、365日すべてを捧げていることになるのです。
これが自然に定着していると、不思議なもので、コンビニの店員さんに対しても、心からありがたいなと思うようになります。

お客様に感謝することは当たり前で、誰にでもできることです。
でも、お客様ではない「遠い人」に対して感謝することは、なかなか自然にできることではありません。なぜなら、お客様に感謝の意をあらわすことは自分の利益に通じますが、「遠い人」への感謝は、何の利益にもつながらないからです。
私は、お客様から見えない部分こそを磨かなければと考えています。
お客様が見ることができるのは、お客様を前にしたときの私の姿だけです。どんな人に対しても感謝する姿をお客様が見ることはできません。
お客様だけに感謝する人と、誰にでも心から感謝する人。
あなたはどちらの人のほうが信頼できると感じるでしょうか。

頼りない意識よりも、圧倒的な無意識を鍛える

心理学によれば、私たちの判断の97%は無意識によるものであり、意識して行っていることは残り3%にすぎません。その3%の意識が、「その場」をつくっているのです。
普通の人は、この3%のことを100%と思って生きています。無意識の自分は、自分でも気づくことができないからです。

なんとなく元気がない人を前にしたら、意識して、「どうしたの?」と声をかけます。それは、「その場をつくっている3%の意識」の働きによるものです。そのように、意識したことは、目に見える、言葉や行動となって表現されます。
ところが、この「意識によってつくられた言葉」は、状況によって変化するものです。
たとえば、通勤の電車で不快な思いをして、しかも寝不足で機嫌が悪い、そんな朝に、相手を思いやる言葉はなかなか出てこないと思います。

「ああ、イライラする。まわりに気を遣ってなんていられないや!」

そんな心境では、いたわりの言葉などは出てこないでしょう。
つまり、意識から発せられる言葉は、状況によって変わる、とてもはかないものなのです。イライラするというのは無意識で起こっていることですが、3%の意識は97%の無意識によって左右されてしまうわけです。
もっとも、大人ですから、イライラしていても、お客様が目の前にいれば、たちまち明るくなって、丁寧に接することはできるでしょう。内心にイライラした気持ちがあることは、お客様からは見えないかもしれません。不機嫌であっても、自分の利益につながることがあれば、自分を取り繕うことができるわけです。
でも、本心ではないこんな状態で、お客様の心を動かすことはできないと私は思います。

無意識は、目に見えません。
私は、その見えない部分、外からは気づくことができない無意識の部分をこそ鍛えるべきだと思っています。私はそれを「心の筋トレ」と呼んでいます。
97%の無意識に左右されてしまうような3%の頼りない意識の部分を磨くより、つねに意識に打ち勝つ無意識の側を鍛えることができれば、そのほうが絶対に強いと思うからです。
その強さとは、真実がもたらす強さです。
一点の曇りもない、どこから見ても裏がないものの強さ。
人の心を動かすことができるのは、そうした強さではないでしょうか。

建築や不動産関係者の間で、とてもいやな言葉を耳にすることがあります。
契約していただけなかった、あるいは、途中でキャンセルされたお客様に対して、「せっかくここまでやってやったのに」というようなことを言う人がいるのです。
「やってやった」……私に言わせれば、そんな言葉が出た時点で、すでにお客様を裏切っていることになります。その言葉の無意識には「契約をとりつけたいからやってやろう」という思いがあります。そして、「お客様のために一生懸命やらせていただきます」という言葉は、意識から出た「つくった言葉」だったのです。
そんなことになったのは、お客様側からすると、たしかに一生懸命説明して、値引きもすると言ってくれたけれど、なぜかもう一歩決心できなかったということだと思います。
つまり、お客様自身も気づかないうちに、営業マンの「無意識」を察知し、だから契約に踏み切ることができなかったのではないでしょうか。

言葉を飾ることが苦手、人と話すことも得意でないのに、なぜかお客様の受けがいい営業マン。
たいした宣伝もしていないのに、いつもお客様でいっぱいのレストラン。

そういう人やお店は、すべて「無意識」の部分で、「おかげさまで」「ありがとうございます」ということを言えているのです。
私たちは、家づくりを担うプロフェッショナルです。お客様の幸せに対しては、大きな責任を負っています。
お客様に安心して家づくりを任せていただくために、無意識の部分をこそ鍛えるということは、当たり前のことです。

よく、ビジネスマン向けのセミナーなどで、「この一言が契約につながる」とか、「顧客をつかむテクニック」というようなキャッチフレーズを目にすることがあります。
「一言」にせよ、「テクニック」にせよ、すべては、たった3%の意識によってつくられるものでしかありません。そこに無意識の心がなくては、決して力を発揮することはないでしょう。
土台となる97%の無意識の部分を「お客様の幸せのために仕事をする」という思いで、24時間を染めること。そして、ごく自然体で、お客様の幸せを願う自分につくりあげたうえで、お客様により喜んでもらえるような話術などを身につければ、それは素晴らしいことだと思います。

専務の弟と実践した「心の筋トレ」

「工務店は職人さんの実力と心で選ぶ」にも書きましたが、無意識を鍛える「心の筋トレ」を実践するのは、そう簡単なものではありません。
バタバタと忙しくしているときに、職人さんから電話がかかってきて、「なんだよ~、この忙しいときに!」などと対応してしまうことなどがありました。
実際に忙しくて、電話の対応をしていられないほどなので、私にとっては間違いではありません。
でも、電話をかけてきた職人さんにとっては、こちらが忙しいかどうかは、想像することしかできません。たぶん忙しいだろうな、と想像はしたけれど、どうしても用事があってやむなく電話してきたのかもしれません。
そんな相手からすると、「なんだよ~」という私の態度は、人の気持ちがわかっていない、理不尽で不快なものとして映ったことでしょう。
私は、弟と、「そういう否定的な言葉を口にしてしまったら、お互いに注意しあおう」と約束し、注意されたら素直に謝り、改めることを鉄則にしました。どんな場合でも言い訳無用です。

そのうち、今度は弟が電話で話しているのが聞こえてきました。お客様から、商品の変更をしたいとの電話口でのことです。

「まいったなあ~、今さら変更って言われてもなあ……」

私はすかさず言いました。

「いや、まいったというのは違うんじゃないの。お客様にしてみれば、悩んだあげくの決断なんだし、われわれはプロなんだから、お客様が悩むより先にこちらから確認すべきだったんだよ。それをお客様に言わせてしまったのは、逆に、申し訳ないことだったよね」

弟は全面的に非を認めて、前言を撤回し、申し訳ないことをしたと反省しました。
二人でこの約束を守りつづけていると、自分たちがいかに不満を口にしているか、ボヤいているか、否定的な言葉を使っているかということに、あらためて気づかされます。
そのたびに、お互いに指摘するわけですから、いやでも気づかされるわけです。
やがて、指摘される前に、「あ、また自分は言おうとしている!」と気づくようになります。
そして、どんな場合にも否定などありえない、何があろうと感謝があるのみだ、という心境にまで成長することができたのです。
心の筋トレを実践しつづけ、無意識という目に見えない部分を鍛えることができたのです。
おそらく、双子の弟という対等な存在が社内にいなければ、きっとこれは達成することができなかったと思います。

無意識を鍛えることで口コミのお客様が増えた

無意識の部分を変えることは何よりも強い、と上に書きました。
それは、お客様の幸せを思う心が、まぎれもない真実になるからです。真実ほどゆるぎないものはありません。真実は、ただそれだけで、人の心を動かす力をもっているのです。

匠平家に家をつくってほしい、というお客様が自然と集まってくれたのは、私たちの家づくりに対する姿勢を、今のように変えてからです。
宣伝もせず、豪華なカタログなども作らず、しつこい売り込みをすることもしませんでした。ほぼ100%、口コミで集まってきてくれたお客様です。
そのような状態になるまでは、やはり悩むことも迷うこともありました。
弟とはよくこんな話をしました。

「俺たち、お客様のためとか言いながらやってるけど、本当にこれでいいのかなあ。何か間違っていないかなあ」

当時は自宅の片隅の6畳一間を事務所代わりにしていて、ちゃんとやっていけるかどうか、人並みに心配していたのです。

「いや、絶対に間違っていないよ!」

弟とそんなふうに確かめ合い、励ましあいました。
訪れてくれるお客様のために誠心誠意を尽くし、業績は上がったり下がったりを繰り返しながら、徐々に上昇していきました。
訪ねてくるお客様が、口を揃えたように、「こちらがいいと教えてもらって」とおっしゃるようになりました。
最初のうちは、「へえー、そうなんですか!」などと目を丸くしていたものですが、今では、口コミ以外でいらっしゃるお客様に会うと、「ええっ、そうなんですか!? じゃあ一体どこで弊社のことをお知りになったんですか?」と驚いてしまうほどになりました。
最近では、インターネットで検索して匠平家を知った、というお客様も増えてきています。

そうやって匠平家を訪ねてくださるお客様の3人に1人は、やはり泣いてしまわれます。
家を建てるための相談に来た人が、どうして泣いてしまうのか。
他の工務店の人が見たら、きっとかなり驚かれるのではないでしょうか。
家づくりに対するお客様の思いは、どなたも真剣そのものです。そして、真剣であればあるほど、私の話を聞くと、泣いてしまわれるのです。

「親が家でも建てておけと言ってお金も出してくれたら、とりあえず建てておくことにしたんだけど」

そんな方の場合は、さほど真剣ではありませんから、泣いたりはしません。
しかし、「建てられるかどうか今はまだわからないけど、なんとかがんばって家を建てたい」という真剣な思い、期待、希望、そして不安に対して、私が心から真剣に、幸せになるためのアドバイスをすると、真剣であればあるほど泣いてしまわれるのです。
このように心の通ったやりとりをお客様とできるのも、私たちが「お客様が幸せになれる家づくり」を目指しているからにほかありません。

人は、相手の無意識を自分の無意識で見きわめる

家を建てるときは、何軒も住宅会社や工務店を回り、比較することは普通のことだと思います。匠平家を訪れるお客様も、すでに他社で見積もりをとられている方は珍しくありません。
もし、まだ他社を訪問していないというお客様がいらっしゃれば、私は、他社でも相談されてみることを必ずお勧めしています。
私たちが家を建てることだけがお客様の幸せにつながると断言することはできません。どこで家を建てるかということは、最終的にはお客様ご自身で決断していただきたいのです。
それでも、たいていのお客様は戻ってきてくださいます。

「いろんな住宅会社を見て、話も聞いてきたんだけど、やっぱり匠平家さんにお願いしたいんです」

最終的に匠平家を選んでくださる方が、少なくないのです。
重要なことを判断するとき、人は最終的に「人」を見て決めるのだと思います。命にかかえあるようなことであっても、技術ではなく、人の心を選ぶのです。

もしあなたがガンにかかってしまったとします。
いろんなつてを頼って、何万人もの手術をしている名医を紹介してもらい、診断をすがるような思いで診断を受けたとしましょう。

「私は何万人もの手術をしているので、あなた一人にかけている時間はあまりとれないんですよ。まあ、とりあえずこの薬でも飲んでおいてください」

その名医はいとも簡単そうに、軽い調子であなたにそう言いました。
あなたはショックを受け、しかたなく別の医者を探し、有名ではないけれど、信頼できそうな先生の診断を受けました。

「つらいでしょう。でも、私はあなたのためにすべての力を注ぎます。いたらないところもあるかもしれませんが、治療を成功させるために、あらゆる手を尽くしていきましょう。不安なときは、夜中でもいいからいつでも携帯に電話をください。一緒に頑張っていきましょう」

期待していなかったその先生から、そんな言葉を聞かされました。
私なら、間違いなく、後者の先生に命を託そうと考えるでしょう。
人は、最終的な判断は「人の心」で選ぶのです。これも無意識の力と言えます。人は、相手の無意識の部分を、自分の無意識の部分でちゃんと判断するということです。

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